離れて暮らしている親が認知症になった時、一人暮らしの限界はいつまでなのか、とても心配になると思います。見守りしていれば良いのはいつまでなのか、放置してはいけない限界はいつなのか。
これは長い間、私が心配し悩んできたことです。
子どもが一人暮らしの親の認知症に気がついた時、同居や施設入所を勧めると思います。
親がそれを受け入れてくれれば良いのですが、だいたいにおいて、親は子どもの言うことなんて聞かないものです。
「自分は一人暮らしで、大丈夫」と。
ここから子どもの心配と葛藤が始まります。
「認知症なのに、このまま親の一人暮らしを見守りしてるだけでいいの?」
「認知症の親を一人暮らしのまま放置しておくのは無責任なんじゃないの?」
私は、親ではないのですが、独身で子どものいない叔母についてこのことで悩んできました。
叔母は、私が叔母の認知症に気づいてから3年9ヶ月もの間一人暮らしを続け、現在は施設で生活しています。
その経験から、認知症の一人暮らしの限界はいつまでか、見守りでOKの時と、放置できない時について私が考えたことについて書いてみたいと思います。
認知症の一人暮らしを見守り続けた最初の2年9ヶ月
一人暮らしの叔母に認知症の症状があらわれた時、私たち親戚は「もう一人暮らしは無理!危ない!」と考えました。
でも、そこから3年9ヶ月もの間、親戚の説得には全く耳を貸さずに一人暮らしを続けてきました。最後の1年は破綻していましたが、最初の2年9ヶ月は大過なく一人暮らしができていたのでした。
意外なことに、認知症になっても、私たちが思うよりはるかに長い間一人暮らしを続けることが出来たのです。
とは言え、認知症になってからの生活は、今までの生活とは違います。
叔母の一人暮らしは、次のようなものでした。
お風呂に入るには週に一回あったかどうか。
→高齢者が、入浴により死んだというのはよくある話ですが、入浴しなくて死んだという話は聞いたことがありません。
食事は食べたい時に食べたいものを食べるだけ。
→90歳近くの認知症高齢者にとっては、正しい食生活をすることによってどれほど健康状態が改善するでしょうか。減塩食などでストレスを溜め込むより「好きな時に好きなものだけ」の方が生活の質(Quality of life : QOL)は上がります。
冷蔵庫の中には賞味期限切れのもので一杯。
→冷蔵庫に沢山ある賞味期限切れのものも、さすが昭和一桁生まれだけあって、味と臭いで嗅ぎ分けていました。やはり、腐ったものは美味しく感じないような危険回避プログラムが人間にはインストールされているようです。
頑固になってくる。
→同居家族がいたら家族の方が毎日大変だろうけれど、直接に被害を受ける同居家族がいない。
銀行の通帳を何度も失くして何度も再発行する。
→かなり危なっかしい状態でしたが、頑として親戚に通帳を預けることはしませんでした。結果論になりますが、施設に入るまで自分の財産は自分で守っていました。
更に驚いたのが、認知症が放置しておけないレベルにまで悪化した末期の状態で、筆者を自分の預金の代理人に指定する手続きを銀行で行なっていたことです。
現代社会では、お金に対する執着も人間の生存本能ということで理解できます。自分の預金の代理人を誰にするかという自分の死活問題を、僅かに残された認知能力で判断したのか、それとも生存本能だったのかは謎のままです。
お鍋を焦がす。
→自主的に料理をやめました。仏壇へ線香をあげることも自主的にやめていました。食事はスーパーのお惣菜が中心になりましたが、本人はそれを苦にしているようではありませんでした。
掃除が行き届かなくなり、部屋が何となく薄汚れる。
→これも同居家族がいないので、特に問題になりませんでした。
小銭を数えて取り出すことができなくなり、180円の買い物にも一万円札をだす。
→これでも買い物はできます。
そんな状態でも最初の2年9ヶ月は、大きな問題なく一人暮らしで生活できていたのです。
そんな叔母の生活を見ていて気がついたことは、認知症になっても動物としての生存本能を頼りに一人暮らしができるんだということでした。
親戚の心配をよそに、認知症を患いながらも「自分の身は自分で守る」という姿勢を見せてくれたのです。
認知症一人暮らしの見守りを決めた叔母の一言
今から振り返れば最初の2年9ヶ月は結果オーライでしたが、当時の私は心配し続けていました。
一度、叔母が下血して自分で救急車を呼んで入院したことがあります。
その時に「今回は自分で救急車が呼べたから良かったけれど、また何かあったらもう自分ではどうにもできないかもしれない。もうこれ以上、一人暮らしを続けるのは危ないから、施設に入るように」と叔母と話しあいました。
それでも、叔母は頑として首を縦にふりませんでした。
「たとえ誰にも発見されずに死ぬことがあっても、自分はそれで満足だ」と断言したのです。
ここまで言われてしまうと、叔母の意思を尊重するしかありませんでした。
私は叔母の考えを変えようとすることは諦め、「認知症になったら一人暮らしはもうできない」という私の考えを変えることにしました。
認知症の一人暮らしをいよいよ放置できなくなった最後の1年
そんな叔母でしたが、最期まで一人暮らしを全うできたかというと、そうはなりませんでした。
その理由は二つあります。
一つは、幻覚と妄想により本人の不安と恐怖が強くなり、苦痛を訴えるようになってきたこと。
二つめは、ご近所の人たちに迷惑をかけるようになってきたこと。
具体的にはには次のような状況になってきました。
本人が不安と恐怖を訴えるようになってきた
あれは厳しい暑さの夏の日の夜でした。
「知らない間に私の寝室に悪霊が忍び込んできて、監禁されてしまった。怖い、怖い」との電話があったのが、その始まりです。
異常な発言に驚いたのですが、なんせ私は駆けつけようにも2時間離れているので無理。たまたま仕事帰りの従兄弟がつかまったので、見に行ってもらうことにしました。
そうしたら、夜の10時過ぎだというのに、叔母はチャイムを鳴らしても出てこなかったそうです。従兄弟は合鍵を持っていなかったので、急遽、鍵屋さんを呼んでドアを開けてもらって部屋の中に入るとも叔母がいない。
すぐに警察に連絡すると、徘徊している叔母を警察官が保護してくれました。それが夜の11時。
その日は従兄弟がそのまま叔母のところに泊まったのですが、翌朝は叔母はケロリとして、「お財布を盗まれたので警察に届けに行った」と話していたそうです。夜の11時に?
それから、叔母の異常な言動が増えていきました。興奮して私のところに電話してきて、
「小人がたくさん家の中に入り込んで来た」
「風呂に誰かの死体が浮かんでいる」
「財布と鍵とキャッシュカードを全部盗まれた」など。
とりあえず他の話題に気を外らせるようにすると、叔母が落ち着いてくれることもありました。
しかし、このような電話が1日に何度もかかってくるようになり、何より本人が幻覚・妄想に苦しんでいるのを見て、もうこれ以上、一人暮らしのまま放置しておくわけにはいかないと思うようになりました。
ご近所の人たちに迷惑をかけるようになってきた
このように本人の不安感・恐怖感が強くなっていくにつれて、周囲の人たちにもご迷惑をかけるようになっていきました。
洗濯機が壊れて修理の人を自分で呼んだのですが、その修理代金を払った、払わないでトラブルを起こしていました(結局は親戚の者が間に入って支払いをしました)。
また、後から知ったのですが、マンションの管理人さんのところにも1日に何度も電話をして、同じような異常な発言を繰り返していたというのです。管理人さんもさぞかし困ったと思います。
私の知らないところでも、もっと多くのトラブルを起こしていたのではないかと思います。
最終的に一番困ったのは、叔母が出かけた先で人様に怒鳴り散らすようになってしまったことです。
叔母は、近所の内科クリニックで2週間ごとに高血圧の薬をもらっていました。でも、薬をすぐになくしてしまうのか忘れてしまうのか、一日おきにクリニックに行って、「薬をもらっていないから、薬が欲しい」と怒鳴り散らしていたというのです。
クリニックの待合室には他の患者さんも沢山いるし、本当にご迷惑だったと思います。
そして何より、もう叔母は必要な薬も飲めていないことが明らかでした。
困りきったクリニックの医院長より私のところに連絡があり、「もう一人暮らしは限界でしょう。早く入居できる施設を探してあげてください」と言われました。
その医院長は、直接叔母に「もう一人暮らしは危ないから、介護施設に入った方が良い」と引導を渡してくれました。しかし、ここでも叔母はその医院長と大喧嘩をしてしまうのでした。
認知症の一人暮らしの限界はいつまで?
結局、叔母の場合の認知症の一人暮らしの限界は、ご近所の人たちに迷惑をかけるようになってきた時点に訪れました。
たとえ認知症でも人様に迷惑をかけない限りは、一人暮らしも可能です。むしろ、一人暮らしで自分のことは自分でしていた方が認知症の進行を遅らせることができるといいます。
でも、ご近所の人たちにご迷惑をおかけするようになっては、いくら叔母本人が「誰にも発見されずに死んでも自分はそれで満足だ」と言っていても、本人の意思だけの問題では済まなくなります。
それまでは、叔母の意思を尊重していた私でしたが、この時点でついに、施設入居の方向に舵を切ることになりました。
認知症一人暮らしの限界の見極めは一人でしないで専門家と協議する
悪化した認知症の人をどうするか、本人に代わって決断するという責任は非常に重いものです。
介護施設に入居しても、叔母が幸せに暮らせるという保証はありません。
誰だって、こんな重い責任を負いたくないと思います。でも、誰かが決断しなければなりません。
この時に頼りになったのが、地域包括支援センターのAさんでした。
「薬も飲めていないし、不安感も強いようなので、たしかに一人暮らしはもう限界ですね。施設入居の方向で動きましょう」と私をサポートしてくれました。
数々の事例を見てきた介護の専門家であるAさんのサポートがなければ、私はこんなに重い責任を一人で負うことができなかったでしょう。
認知症の一人暮らしの限界を見極めるには、一人では決断せずに、介護の専門家と協議して決めることが重要です。
あらかじめ専門家と協議して一人暮らしの限界がいつまでかを決めておく
私が今振り返って後悔していることは、認知症でもまだ一人暮らしが出来ている初期のうちから、ケアマネージャーや地域包括支援センターなど介護の専門家と協議して、いつまでは見守りでOKという限界ラインを決めておけば良かったということです。
あらかじめ、ここまでは見守りでOK、こういう行動が出てきたら一人暮らしはもう限界、という基準がわかっていれば、認知症の人と接するのが初めての素人でも、もっと気持ちに余裕をもって認知症の人の一人暮らしを見守ることが出来たと思います。
ここでは、叔母の実例を紹介してきましたが、認知症の人のライフスタイルは人それぞれ。
煙草を吸う習慣があるか、家のコンロがオール電化なのか、車の運転をするのか、ご近所の人たちとの人間関係がどうなのか、他の病気があるのかなど、それぞれのケースで、いつまでが一人暮らしの限界なのかも違ってくるでしょう。
是非、早い段階からお住いの地域の地域包括支援センターにご相談しておくことをおすすめしたいと思います。
まとめ
- 認知症になっても、すぐに一人暮らしが出来なくなるわけではない。認知症になっても生存本能を全開にして、自分で自分の身を守る。この段階では、家族やご近所の人たちの協力を得て見守りをしてあげれば良い。
- 認知症が更に進行して問題行動が多くなり、ご近所に迷惑をかけるようになってくると、一人暮らしも限界になる。
- 具体的に認知症の人の一人暮らしの限界を見極めるには、ケアマネージャーや地域包括支援センターの介護の専門家と協議して決めること。
- できれば見守り段階のうちから、介護の専門家と協議して、いつまでが認知症の人の一人暮らしの限界なのかをあらかじめ決めておくと、気持ちの余裕をもって見守ってあげることができる。
認知症の介護には迷いがつきもの。叔母の例が少しでも参考になったら幸いです。
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